あの震災直後、日本は確かにひとつになった。被災していない人々は『自分たちには何ができるのか?』を模索し、それぞれに実行していた。ほとんどにおいて、それは募金することやボランティアに行くこと、または何かを自粛することであったりした。みんなが被災という恐怖を克服するための意識を持って、何かしようとしていた。
それは、被災地ではなおさら強かった。自分の不幸と他人の不幸を同等に感じ、避難所での不便な生活の中であっても、秩序を作り出していたし、なにより、耐え忍ぶことを風土の中で実感していた人々の、被災してもなおそう在るように映る姿を、海外のメディアは賞賛した。そのレポートに映し出される隣人の姿に、僕は涙をこらえることができなかった。
あの時感じた国民の連帯感は、それまで国に対してまったく興味もリアリティも全く持っていなかった自分を、初めてひとりの国の民であることを実感させ、同じ国に住む民としての存在意識を明確にしてくれたのだった。簡単に言えば「隣に住む人が困っていて、手を差し伸べる余裕があるのなら、手を差し出すのが隣人だ」ということだ。それは、同じ地域の隣人でもいいし、隣国に住む人、あるいは遠く離れた国に住む人々でもあるだろう。
しかしながら、自分が住むこの国である。いつの間にか自粛は消え去り、被災地以外では平穏な生活が戻ってきている感がある。しかし、被災地の復興は、まだまだ人任せでは成り立たないし、ほとんどの人が専門外である原発事故災害に関しては、なおさらそうだ。何かしらの支援を続けなければいけないと思うのだ。
これからの世の中に、犠牲になった人々は何を望んでいるのだろうと・・・所属や管轄や思想も年齢も、全てがまちまちで亡くなっていった方々が、私たちに何を望むのだろうかと・・・つまりは、何をどうすれば、これからの対策になるのだろうかを考えること。そして、その考えを実行に移していくこと。その未来へのことは、現在しなければいけない事と同時に進めなければいけないのではないだろうかということ。私たちは、それを見極め、何かしらの形で被災地の復興に関与していかなければいけない。戦争を経験した人々が、その悲惨さを語り継ぎ、平和の尊さをおしえてくれることと同様に、先の震災が、人々の連帯意識の中で復興していったと語り継がれるように、未来に向けて残さなければいけない人間としての義務を、私たちは持たされているように感じている。
奈良美智 美術家